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自分自身を取りもどす場所がほしい(1)

2020年6月15日「月曜日」更新の日記

2020-06-15の日記のIMAGE
大手の会社に勤めている友人の話によると、休日に用事があって会社に行くと、急ぎの用事があるわけでもないのに出勤している男の人がいるそうです。自分の机に向かい、新聞を広げ、自分で入れたコーヒーをおいしそうに飲み、時には爪を切ったりして、実にのんびりと楽しげにすごしている姿を見て、ショックを受けたと言っていました。週休二日制になっても、出かける予定や家の用事がなければ、家に居場所がなくて、わが身を持てあましてしまうのでしょうか。妻の側でも「休日に夫が家にいると自分の行動が規制されてしまう」とこぼす人が多いようですから、仕事がなくても休日出勤している夫は結構いるのかもしれません。
・「書斎がほしい」の意味
中学か高校のころ、どんなに狭くても自分の場所がほしいと願うのは、ごく普通の感情だったと思いますが、就職したり、結婚したり、子どもができたりの目まぐるしい時期には、自分の居場所をあまり意識しないものです。そして再び自分の時間が持てるようになると、自分の場所がほしいと思うことが多くなるようです。男の人は書斎を、女の人は家事室を、自分の城として夢見ることが多いのですが、書斎というと、いかにも仕事の延長上必要な場として、また、家事室は家事をするためという名目がたてやすいからだと思いますが、本当にほしいのは、自分自身を取りもどす場所なのだと思います。子どもには子ども室があるのに、夫には、妻には、夫婦寝室という共通の場があるだけのことが多いからです。夫がほしかったのは、子どもにかきまわされずにプラモデルを組み立てられる場であり、妻に冷やかされることなくゴルフのスコアカードを眺めたり、週刊誌を読み、一服できる場でしょう。また妻がほしかったのは、夫や子どもが帰宅しても、つくりかけの趣味の人形をあわてて片付けなくてもよい場であり、読んでいる本に感動の涙を浮かべても、人目を気にせず自分の世界に、ひととき浸れる場なのではないでしょうか。さらに、夫にも、妻にも、時々眺めたい写真や内緒の手紙がある場合もあるでしょう。夫婦げんかした時に、しばらく互いの顔を見ないですむ場所がほしいというのも実感ではないでしょうか。本を一冊も読まない夫が「書斎、書斎」と言う時、たとえじきに物置と化そうとも、心の拠り所となるならいいじゃないか、と思うのも設計者としての私の実感なのです。「部屋として独立していなくても、引出し一つのコーナーであっても、住まいの中に自分の定位置があることが大切なのではないかと思うのです。

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