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リフォームの歴史はわが家の家族史(1)

2020年6月12日「金曜日」更新の日記

2020-06-12の日記のIMAGE
親元から巣立ち、結婚して新たな家族をつくってから二二年余り。子どもたちも育ち、振り返ってみると、その時その時をどう生きたかということと、どういう住まい方をしてきたのかとが重なります。住まいを選ぶということは、自らの意思というよりも、偶然や、他からの条件に大きく左右されてしまうものですが、その中にあっても、結果として選択したものには自分らしさが出ているのではないでしょうか。結婚当初は新宿の街が好きで、職場も近かったことから、狭くてもきたなくてもトイレが共有でも、新宿の街のアパート暮らしは快適でした。妊娠し、お腹が目立ち始めたころ、アパート契約上の「子ども不可」の条件から、住まい探しが始まりました。
・一五坪の木造平家からスタート
横浜に庭付一戸建てに住めることになったのは、本当に幸運としか言いようがありません。住まいとしては、最小限な設備を持つ一五坪の木造の平家です。ローコストということもあり、壁、天井は下地材のベニヤのまま、塗装もしていません床はブナのフローリングでほとんどワンルームのような住まいですが、核家族で子どもが小さい場合、目が行き届き、家事が楽で助かります。入口はありますが玄関はなく、誰でも庭から直接板の間に出入りするようにしてあります。せっかくの一戸建てだから、庭で遊ばせたいと三間分のはき出しをつくりましたが、意図どおり、子どもたちは歩き出す前から庭に出て遊び、近所の子どもたち』集まり、さながら保育園のようなひとときもありました。近所の人たちとのつきあいから、安全な食べ物を、と、卵や牛乳、肉、野菜等、また、合成洗剤への批判から、石けんやシャンプー等の共同購入が始まり、今もつづいています。人の出入りのしやすい家は共同購入等の場所としても適しているのではないかと思います。|フローリングは無塗装だったのと、ろくに掃除をしなかったので、二二年たった今ではまっ黒ですが、それなりに味があると思っているのは本人ばかり....かもしれません。

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