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おわりにだからこそ同居(3)

2020年2月20日「木曜日」更新の日記

2020-02-20の日記のIMAGE
私は心底、反省した。互いの気配しか感じられない同居は冷たい同居生活だ。気配ではなく「心」を配り合えてこそ、ほんとうの同居なのではないだろうか。私事で恐縮だが、少しだけ最近の心境についてお話しさせていただきたい。本書をようやく書き終えて一息ついた朝、故郷の愛知県岡崎から母が亡くなったというしらせが入った。五人の子どもを育て上げ、一○人の孫と三人のひ孫の誕生を見届けた後に、八七歳の長寿を全うしたのである。母の人生は幸せな人生だったと思いたい。しかし、遠く離れた東京に住み、最後まで思うような介護ができず、会いたいときに会うことすらままならなかった息子としては、ただただ申し訳なく、せつない思いでいっぱいなのだ。母の場合は、幸いにもよい病院で介護を受けることができたし、同じ岡崎市内に住む末妹一家が心を込めて世話をしてくれた。母が亡くなったのは、その末妹がかなり無理をして介護可能な職場併用住宅を新築し、まさに病院から引き取ろうとしていた矢先のことだった。そうした事実がまた、私には悲しくてならない。母を失い、私は改めて「母の居場所」を思った。現代の長寿社会について、親兄弟を含めた家族のあり方について考えた。私自身、東京で核家族の生活を送りながら、身近に親族がいればと思ったことは何度もある。とくに、小学生の息子二人を残して先妻に先立たれたときには、親と同居している友人や知人が心底うらやましくてならなかった。身近に心を配ってくれる家族がいれば、どれほど心強いものだろう。困ったときに頼れる両親や、窮したときに支えてくれる兄弟姉妹がいきずなればどんなに安らぐことだろう。そんな安心や温もりこそが家族の紳であるに違いない。私が同居住宅の設計に本気で取り組むようになったのも、それがわかってからだった。子夫婦との同居、親夫婦との同居にあたっては、不安を感じることも多いだろう。不自由や束縛を感じてためらう人も多いだろう。しかし、それでも一緒に暮らせば安心だ。一緒に暮らすからこそ家族、だからこそ同居、なのである。本書がそうした幸せな同居の家づくりの一助となれば幸甚である。また、本書の出版に際しては、講談社の古屋信吾さん、奈良部あゆみさん、そして松本薫さんのご協力に負うところが大きい。心より謝意を表したい。

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