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投資とギャンブルを同じ土俵で評価するには無理がある

2019年5月17日「金曜日」更新の日記

2019-05-17の日記のIMAGE
現在でも、関東大震災時の被害がそのまま放置されている埋立地があります。富津沖の第二海堡ですが、立入禁止区域になっています。しかし、軍事遺跡の研究やブログなどで取り上げられているので、それを覗いてみると興味深い様子が伺えます。巨大なコンクリートの塊が、今でも散乱した状態で放置されています。当時はコンクリートに鉄筋が入っていなかったからでしょうが、ひどい状況が見てとれます。地震の破壊力のものすごさがわかります。埋立地には高層建築物がたくさん建っていますが、耐震性の高い建物だけでは街は資産価値として機能しません。すべての街のインフラまでは耐震化できません。街を支える地盤というのも、マンションの共用部分と同じと考えるべきではないでしょうか。地下に埋設されている水道管まで含めて、街のインフラ機能それ自体の耐震性が、本当は必要でしょう。人の命も大切ですが、街の命も大切です。街の機能として見た場合、埋立地は少なからず被害が出ることがすでに経験的にわかっているわけですから、そういうエリアにマンションをあえて積極的に買うというのはいかがなものか。私は、そう考えています。このように、埋立地はテーマである「資産価値が高い住宅を選ぶ」という観点や、あるいは「将来性の高い街(またはサステイナブルな街)の住宅を選ぶ」という観点から見ると、本当に微妙なのです。というよりも、「財産形成にとっての有利性」という観点からすれば、否定的にならざるを得ないのです。つまり、資産運用の観点からすれば、「リスクの予測ができないものには投資してはいけない」という経済原則を忘れてはならないのです。本来、リスクというものは、「予測が可能で、かつリスクがマネジメントできなければならない」という性質のものであるべきです。リスクがマネジメントできる対象への資本投下を「投資」といいます。そういう観点から考えると、街としての歴史的な履歴書が存在しない臨海型のニュータウンの物件を、それも高い金額を払って買うという行為は、投資ではなく投機に近いのです。要するに、ギャンブルなのです。ギャンブルの指南書ではないので、何とも言えません。投資とギャンブルを同じ土俵で評価するには無理があるのです。ただし、ギャンブルですから、もちろん得することもあります。

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