不動産探しと暮らしのアイデアを伝授!住まING

トップ > 元年5月> 14日

歴史的な文脈で街を見てほしい

2019年5月14日「火曜日」更新の日記

2019-05-14の日記のIMAGE
鉄道史という側面から考察すると、そうした街は圧倒的にJR系の街が多いのです。JRとは、旧国鉄」、または「日本鉄道」です。戦前は、軍需産業地帯を連結していたと言っても過言ではありません。また、その国鉄を側面から支えるように敷かれた古い私鉄ラインも、辛うじて活気を保っていることが多いのです。つまり、リアルな欲望に満ちた資本主義(=帝国主義?)を支えた鉄道沿線は強い。逆に、戦後に敷かれたラインで、原野や湿地帯、または農村地帯を開発して敷かれた新しい鉄道ラインは、基本的にリアルな歴史を持っていません。それは、戦後、高度成長時代に中産階級層のホワイトカラーが大量に入植した街なのです。住民構造は、もと農民(=現在の大地主)の家系と、駅前商店街の住民と、ホワイトカラー層ですが、圧倒的にホワイトカラー層が多いでしょう。そういう街は、経済的な活気もないし、大規模な古い工場などもないので、周辺域のカンフル剤となる再開発などが行われる確率も低いのです。さて、またおもしろい話があります。それは、東京西部の中央線から京王線にかけての顕著な傾向として、大学が多いことです。都心の国立大学が移転してくるケースも少なくないのですが、移転先の国有地はほとんど戦前の軍需関連施設なのです。たとえば現在、中央線の武蔵境駅から分岐する西武多摩線「多磨駅」にある東京外語大学は、北区の海軍下瀬火薬工場の跡地から調布の陸軍飛行場の跡地に移転してきた大学です。それはさておき、大学が移転してくるということは街の活性化には非常にいいことです。全国から優秀な人が集まって来れば、街も活性化するでしょう。街は、偶然に変わっていくものではありません。必ず、法則があるものです。国有地の法則、大規模工場地の法則、ニュータウンの法則.........。一見、脈絡のなさそうな事象であっても、そこに隠された変化の法則を見抜くことが肝要なのです。戦前の大規模な国有地は、ほとんどすべてが軍用地です。戦前の大規模な工場は、ほとんどすべてが軍需産業です。戦後のニュータウンは、ほとんどすべてがホワイトカラー層の街です。そう考えると、これからその街が、どんな風景に変わっていくのか、予測がつくものなのです。「サステイナブルな街の生命力を支えているのは、シングル層であろうが、ファミリー層であろうが、そこに暮らす人々の経済力、都市文明です。また、経済力に余裕のある層は、必ず教育環境に関心を払います。特に、子どもがいる世帯にとっては、それは至上命題なのです。「そんなことを頭に入れながら、歴史的な文脈で街を見てほしいのです。

このページの先頭へ