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五島列島出身の起業家

2018年9月7日「金曜日」更新の日記

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N社の創業社長・H氏は、長崎県は五島列島の出身である。長崎県の西方、東シナ海に浮かぶ五島列島は、主要な五島とそれにともなう一四〇あまりの島々によって形成されており、大部分が西海国立公園に指定されている。また、歴史スポットも多く、奈良・平安時代には遣唐使船最後の寄港地であり、中世以降においても海外貿易の拠点として栄えたところである。  この美しい海と豊かな自然に恵まれた島で育ったH氏は、小学生のころからすでに将来は起業家になると志していたという。その起業家になるという目標を実現するためにH氏は、高校を卒業後、あえて知人のいない東京へ出てきた。  そして、東京の専門学校在学中から商才を発揮し、二十二歳で仲間とパソコソ通信会社を立ち上げたものの、より大きなフィールドをめざして不動産業界へ転身。不動産会社の営業マンとして腕を磨くかたわら、本格的な起業へ向けて、人脈ネットワークを構築し、経験を蓄積していった。  その過程においてH氏は、不動産業界の数社から「経営陣として参画してほしい」と誘われ、たしかな実績を上げた後、満を期してN社を設立したのであった。  同社の躍進のきっかけとなったのは、土地を「探す」から「創る」へ転換した、新しい発想のビジネスモデルである。N社の設立にあたってH氏は、このビジネスモデルを自らプレゼンテーションし、一億円の資金を集めた。  その資金を元手に徐々に事業を拡大し、今日に至るわけだが、起業家・H氏の原点を探るため、まずは五島列島時代から語ってもらった。  四人兄弟の末っ子として育ったH氏は、一番上の姉とは八歳離れていることもあって、かなりのやんちゃ坊主だったという。幼稚園時代の記憶から、やんちゃぶりを紹介してもらおう。  「幼稚園生のころ、その幼稚園から逃げ出して、よく近くにあるスーパーマーケットへ遊びに行きましたね。そのスーパーは友だちの親が経営していたので、そこの配達のクルマに乗せてもらうんです・これがおもしろくて、遊びに行っているような感覚でしたね度連れ戻されても、また懲りずに幼稚園を抜け出してスーパーへ行ってしまう。そのうち両親も「こりゃ、だめだ」と思ったんでしょうね。遠くの幼稚園に変えられてしまいました」  少子化が進むなか、いまとなっては四人兄弟は極めてめずらしい。そのなかで揉まれつつ、かなり自己主張の強い子どもとして育ったようだ。

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