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古代の日本人と木

2018年3月7日「水曜日」更新の日記

2018-03-07の日記のIMAGE
 日本人は木とともに生きてきた民族ですから、その関係を記録によって調べていくと「古事記」「日本書紀」にまでさかのぼります。その中に書かれている木の種類は53種類もあって、27科40属に及んでいます。  なかでも興味深いのは日本書紀の中でスサノオノミコトが「日本は島国だから舟がなくては困るだろう」と言って、スギとヒノキとクスノキとマキを生み、「ヒノキは宮殿に、スギとクスノキは舟に、マキは棺の材に使え」と教えたと書かれていることです。ところで、この記録と考古学的な調査の結果とは、よく一致しています。そのなかからマキの話を紹介することにしましょう。  ご存知のように日本では、古墳時代が3世紀から6世紀ころまで続きました。古墳の中心をなすものは棺です。それを調べたみたところ、ほとんどがコウヤマキで造られていることがわかりました。コウヤマキというのはちょっと見たところでは、何の変哲もない針葉樹材です。しかしこの木は水湿に対して強く、腐りにくくて、いつまでも木肌が白いという特徴があります。そのことは江戸時代の百科事典「和漢三才図絵」や「東雅」にも書かれていますが、私はそれを、すでに太古の時代の人たちが知っていて、棺の用材として使い分けていたことに驚くのです。  戦前は、風呂桶はほとんど木で造られていました。関東では高級品はヒノキ、普及品はサワラでした。ところが関西では、コウヤマキをもって最高の風呂桶材としていました。だからこれで棺を造ったのは正しい選択だったと言えます。  ところで今から60年ほど前に、京都大学の尾中文彦博士は、韓国扶余の陵山里にある歴代百済王の古墳の棺材21個を調べて、1個を除いた20個はすべてコウヤマキで造られていることを明らかにしました。コウヤマキは世界に一属一種で日本にしかない特産の木です。その分布は九州から紀州までの西日本と木曽地方に限られていますから、当然それは日本から運ばれたものと考えなくてはなりません。  韓国の慶州にある金冠塚からはクスノキの棺材が出ていますが、クスノキは朝鮮半島には分布していませんから、これも中国か日本のいずれかの地から運ばれたと考えるのが妥当です。また北朝鮮の平壌には、有名な楽浪の古墳があります。尾中博士はその棺材をコウヨウザン(広葉杉)であると識別し、産地は遠く中国の南部であろうと発表しました。  ところで中国では、1972年に湖南省長沙から約2000年前の西漢初期の古墳が発掘されました。その中から貴婦人が、生きている時と同じ姿で出土して大きな話題となりました。有名な馬王堆ですが、その棺材がコウヨウザンでした。今から60年も前に、楽浪の古墳の棺材が中国南部から運ばれたであろうと推論された尾中博士の炯眼には、あらためて敬意を表するところです。  古代にあって、このように貴重材を遠くから運んだ例は、東洋だけに限りません。西洋にも多くの例があります。エジプトではピラミッドの中から古代王族の木製の遺品が多量に発掘されています。それらは金、銀、象牙などとともに、精巧な木象嵌が施されていますが、その用材は黒檀、紅木、チークなどで、遠くインド方面から輸入されたものと考えられています。  さてここで注目したいことは、古墳からの出土品を見ると、西洋では黒檀や紅木のように見た目に美しい木や、白檀のように芳香の優れた木を剪重しました。ところが私たちの祖先はそれとは違って、ごく普通の木の中の目立たない優秀性に着目して、それを適材適所に使い分けてきたという事実です。このように考えてくると、日本人の木に対する異常なまでの愛着の深さは、すでに太古の時代にまでさかのぽって考えるべきだと、私は思うのです。

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