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生物材料の位置づけ

2018年3月2日「金曜日」更新の日記

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 私たちが普通に材料の優劣を論ずる時は、いくつかの特性を取り上げて、各軸ごとに物理的・化学的な試験を行い、その数値が上位に出れば良い材料、下位に出れば駄目な材料として判断します。ところが、こうしたタテ割の評価法では、木はその良さを証明することはできないことを前にも書きました。しかし、だからといって木は材料として劣っていると断定することはできません。  そこで考え方を変えて、人間工学的な評価法を取り入れ、ヨコ軸を基準にして評価したらどうなるかを考えてみたいと思います。その考え方というのは、使うのは人間だから人間の肌に合うものほど良い材料だとみなす評価法のことです。  そこでまず、真ん中に人間を置き、親しみやすい材料から順次遠心的に並べていくことにします。すると、次のようなパターンができあがります。  人間にいちばん近い所に来るのは、何と言っても生物材料です。生物材料の代表は木綿と木ですが、人間はもともと生き物ですから、そうした材料が肌に合うし、心も安まるということに異論はないはずです。皮革とレザー、べっこうとセルロイド、木とメラミン化粧板といったように、ちょっと見た目には同じでも、自然と人工のテクスチュア(肌ざわり)の違いを私たちは微妙にかぎおけるのです。  さて、その次に来るものはなんでしょうか。それは自然材料です。自然材料の代表は土ですが、土もまた生きています。私たちが何気なく踏む足の下には、何千何万という小動物や微生物が棲んでいて、土を生ぎ物にしています。だから夕立が降ったくらいでは谷川の水は濁りません。本物の自然は気の遠くなるほどの長い時間をかけてできあがった生ぎ物ですから、水の汚れを吸い取ります。公園やゴルフ場の芝生は緑に映えて美しいが、雨が降ると真っ赤な泥水が流れ出ます。 まがい物の自然だからです。  土が死ぬと砂漠になりますが、死んだ土も火という生き物の手をくぐると、もう一度生命を帯びて私たちに近づいてきます。陶器の最大の魅力は、人間くささにあると言ってよいでしょう。 石もまた不思識な魅力を持っています。しかし考えてみると、石は地球という大きな窯の焼物です。そう考えれば、石の持つ魅力の秘密は、何となく理解できそうです。  それなら、石の向こう側に位置するものは何でしょうか。それは鉄とガラスとコンクリートです。これらはもともと自然界の中にあって人間と長い付き合いのあった素材ですから、私たちの肌にそれほど逆らうものは持っていません。  そして、その次に来るのは何でしょうか。私はかなりの距離を置いてプラスチックだと思います。何となく肌になじまない何かがあるからです。  天然素材は朽ちてやがて自然に戻りますが、プラスチックは作った時と同じだけのエネルギーをかけない限り、あの生々しい色を永久にさらします。それが限りある生命を持つ人間に、何となく抵抗を感じさせるのでしょう。  以上は人間工学的な立場から、材料を太陽系のように遠心的に並べてみたものですが、実際生活の中における使い方を調べてみると、大部分の人は木綿の肌着を着て、木の家に住みたいと思っています。昼はコンクリートのビルでもかまわないが、夜は木のインテリアでないと落ち着かない。そうしたことを思い合わせると、タテ割の試験の成績よりも、人間尺度から見たヨコ割評価法による生物材料・自然材料・人工材料といった区分のほうが納得しやすいように思えてくるのです。  人類学の話をする時、バタ臭い顔、日本人的な顔、のっぺりとした顔という表現を使うと大変よくわかります。しかしそういう文学的な表現では学問にならない、という根強い風潮があります。だから顔の骨を精密に測定して計算機をまわすことになりますが、いくら計算機をまわしてみても、バタ臭さも日本人らしさも、いまのところ出てきそうにありません。生物系の材料の評価には、従来とは少し違った角度からの軸を加えて考えてみることが必要ではないかと思うのです。

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